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新聞やテレビのニュースに目をやると政治家、政府、政党、政局、政権、政策等々、「政」の字のつく言葉が数多く使われていることに気がつく。これらはいずれも「政治」に関わる言葉であることは言うまでもない。このようにわれわれは自分には関係ないと思っていても、周囲を政治に取り囲まれているのである。日常生活面から考えてみても、出生についての役所への届けから始まり、一生の間政治とは無縁でいられない。道路、公園、学校、保育所、下水道、福祉、医療保険、年金、物価安定、景気、治安・安全保障、食糧の安定確保等々はいずれも政治の働きに関係している。
われわれは普段、政治という言葉を何気なく使っているが、あらためて「政治とは何か」を明らかにしようとすると、実は非常に難しい。この問いは政治学が始まって以来永遠のテーマとして何千年もの間繰り返されて来ており、今日でも政治学を学ぶと最初に出くわす問題である。それだけでなく政治について学んで行く途上で、またひとしきり学んだ後で考えるべき政治学の基本中の基本問題であり、応用問題でもある。さらに「政治についての定義は政治学者の数ほどある」とも言われる。
つまりは政治学者間にさえ政治について認識の一致が得られているわけではないということである。何千年の歴史を持ちながらこのような基本的問いかけに十分な、一致した答えを未だ見出せないのは政治学者の無能か怠慢か。恐らくそうではないだろう。その理由は、認識の対象とする政治現象が、生来矛盾や限界をかかえた人間によって、理想と現実、合理性と非含理性、タテマエとホンネの両極で織りなされる営みといった特徴を濃厚にもっているため、法則化が容易でないということによる。
さらに観察者自身が現実の社会や政治の渦中に一定の位置を占めつつ政治を観察せざるをえないことも、認識の一致を困難にしている一因である。そこでできるだけそうした拘束から自由に対象を認識することが要請されるが、政治については直接自分自身の利害にかかわる事象が多く、客観性が確保されにくい。同様の理由で政治分析のための用語(例えば国家、階級、権力)も価値中立的でありえない。
要するに政治学が研究対象とする政治なるものが非力な人間を寄せ付けないほど巨大で複雑な怪獣ともいうべき代物なのである。このことを実感しながら、あえて怪獣の正体解明に挑んでいこうとしているのが政治学である。(本文01 政治の現在より)
旧版に加筆訂正しました。
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