| いまもって“人民の父”と謳われる毛沢東と、共産党最高幹部として今日の中国の礎を築いた周恩来については、既に多くの言説がなされてきた。しかし、その多くはもともと中国側の示した資料に基づいたものであり、かねて西欧の研究者の中にはそれらを疑問視する者も少なくなかった。 本書は、筆者トーマス・キャンペンが、アメリカ、ドイツ、スウェーデンなどで渉猟した膨大かつ貴重な資料をもとに、1930年から1945年にかけての毛沢東と周恩来、そして“28人のボリシェヴィキ派”と呼ばれる幹部たちの権力闘争の実態を徹底検証した正に渾身の一冊である。 いまだ多くの謎を秘めた中国、その建国に携わった彼らの嘘と真実を浮き彫りにする本書は、研究者のみならず、中国史に関心を寄せる多くの読書子にとって、必読の書となるに違いない! |
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日本語版への序文
はじめに
第一章 中国共産党の指導権と〈28人のボリシェヴィキ派〉の中国帰還(1930年)
・1930年当時の中国共産党の指導権
・〈28人のボリシェヴィキ派〉と中国への帰還
・〈28人のボリシェヴィキ派〉とは誰か?
・孫逸仙大学における〈28人のボリシェヴィキ派〉
・〈28人のボリシェヴィキ派〉の帰還
・李立三との最初の闘争
・周恩来、瞿秋白と三中全会
・小括
第二章 新しい党指導部の展開(1931年)
・コミンテルン代表の到着 : 上海におけるパヴェル・ミフ
・四中全会と1931年1月における党指導部の変化
・逮捕、処刑、追放、およびその影響
・王明と臨時新党のリーダーシップの確立
・小括
第三章 中国共産党指導者の江西への移転とソヴィエト地区における権力闘争(1931年〜1934年)
・項英と江西における中央局の設立
・任弼時と王稼祥のソヴィエト地区への到着
・中華ソヴィエトの第1回大会
・周恩来の到来と毛沢東の降格
・臨時中国共産党指導部の到着と「羅明路線」に対する反対運動
・五中全会と江西喪失
・小括
第四章 長征時における中国共産党指導部の内部闘争
・長征の始まりと1934年12月の会議
・1935年1月の遵義会議
・データ
・参加者
・議事進行
・結果
・遵義会議後の党および軍指導部の変化
・小括
第五章 中国共産党とコミンテルンとの関係および第2次国共合作の形成(1935年〜1938年)
・中国共産党とコミンテルンの関係の断絶と回復
・コミンテルンの新政策と中国への伝達
・第2次国共合作の準備
・西安事件
・王明の延安到着および12月会議
・3月会議と任弼時のモスクワ訪問
・コミンテルンと六中全会
・小括
第六章 延安整風運動と新しい中国共産党指導部の台頭(1940年〜1945年)
・抗日戦争初期の中国共産党指導部
・毛沢東と中国共産党史に関する論争
・第6期中国共産党全国代表大会以来の資料収集
・整風運動と毛沢東の指導権確立への道
・「毛沢東思想」の宣言
・中国共産党史に関する第2の論争
・第7回中央委員会全体会議と『党史に関する決議』
・『若干の歴史問題に関する決議』
・第七期中国共産党全国代表大会と新しい中国共産党指導部の選出
・小括
結論
訳者あとがき
参考文献
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